ネスターマーティンの生まれ故郷、ベルギーでは今日もカリヨン(組み鐘)が街の隅々に時を告げ、磨り減った石畳とレンガ造りの家壁に音色が響き、味わい深く旅人を迎えてくれます。
一年を通して霧雨が多く、冷たい冬を過ごすベルギーの人々は、何より暖かい炎のゆらめきを愛しました。
窓からのぞく薪ストーブのオレンジ色の炎、心を芯から暖めるこの光景は、まさに冬の原風景ともいえるでしょう。
時代や国境をこえて、いつも家庭の中心に据えられてきた暖かな薪ストーブ。
いかに時代が進み、文明が進んだとしても、熟練した鋳物職人の手になる薪ストーブは多くの人々の支持を受けて、暮らしに溶け込んでいます。
そして炎の周りに集う家族。その日のできごとを話し合う団欒がそこにあります。
オレンジ色の炎が照らすのは、手や体だけではなく、心を暖かな幸せ色に染めあげていきます。
若い銅細工士ネスターマーティン(1825-1916)。彼の人生はベルギーの森で始まりました。その1世紀後に起こる巨大企業ネスターマーティングループの成功を、当時の誰が想像したでしょうか。
14歳で学校を卒業し、ネスターマーティンは父や兄弟たちと一緒に村から村へと渡り歩きながら、農家の納屋にある銅製品を修理する仕事につきます。ひとつひとつ修理するごとに彼の技術は磨かれ、知識は積み重なります。その日々はのちのネスターマーティンを支える大切な土台作りとなりました。
1854年、ネスターマーティンは最初の工場をベルギーのHuyに設立します。29歳のときでした。彼は銅の鋳造に加え、将来性を大きく予見した鋳物の鋳造を開始します。このとき設立した工場の広さは65u。溶解炉煙突が1本と2基の溶解炉を有するささやかな鋳造工場でした。
当時そろそろ鋳物は認知され始め、鉄は加工しやすい素材として、ブロンズ(青銅)や木、銅や石に取って代わる素材となっていました。初年度にネスターマーティンの工場では、鉄製の寝具やミシンのペダル、コート掛けをはじめとして、墓石の十字架やバルコニーの手すりなどさまざまな鋳物製品・小品を生産しました。
ネスターマーティンは早い時期から鋳物が暖房器具に向いていることを確信していました。その考えをもとに暖房器具としての効率の良さを前面に打ち出し、鋳物ストーブの販売を始めたのは、まだほとんどの家庭が開放型の暖炉を使用していた時代のことです。
鋳物製薪ストーブの熱効率の良さが認められると、彼はデザイン的な改良に着手します。年を経るごとに装飾が加えられ、1872年にはホウロウ掛けのストーブの生産を始めます。デリケートで難しいホウロウ掛けの作業は、工場のもっとも熟練したエリート職人たちが受け持ち、完成度の高い手作業がなされました。
ヨーロッパ中に吹き荒れたアールヌーボー運動の影響を受け、ネスターマーティンの暖房機器も入り組んだ複雑な装飾デザインを施すようになりました。その出来映えはストーブという用途を超越して、素晴らしいベルギーの工業アートとして、賞賛と喝采を浴びたものです。
その頃にはネスターマーティンの商品は、上質で堅固な薪ストーブとして広く知られるようになり、Huyにある彼の小さな工場では生産が追いつかなくなりました。そこで1868年に、2つ目の工場をブラッセルに、また1876年にはフランスのRocroiに3つ目を、そして1882年にはフランスのRevinに4つ目、1892年にはネスターマーティンの生まれ故郷であるベルギーのSaint-Hubertに5つ目の工場を設立し、順調に拡大を続けます。
ネスターマーティンは、1889年に彼の息子であるアーサーマーティンにRevin工場の経営を譲り第一線から退きます。
しかし彼の引退後も市場はますます拡大し、ネスターマーティン社のストーブはヨーロッパ各国の展示会で高い評価を受けます。彼が考案した石炭レンジや石炭ストーブ、ガスストーブは1894年にアントワープ世界博覧会で最高勲章を受け、1900年にもパリ世界博覧会で金賞を受賞するなど、屈指のブランドへと成長するのです。
ネスターマーティンの名は世紀をまたいで世界へ知られることとなり、当時のベルギー王国であるレオポルドII世からも親しみを込めて“我が友、ネスター”と呼ばれたそうです。彼の最大の功績はベルギーの経済発展に大きく寄与したことであり、彼の製品が世に広まることによって、ベルギーの石炭産業やガス産業も大きく発展していったのです。
ネスターマーティンは惜しまれながら91歳でこの世を去ります。
その後、第一次世界大戦を経てネスターマーティン社は近代化され、ガスや電気を使用する暖房機器にも力を入れ始めます。ニッケルやクロムで覆われたスティールボディの内部に鋳物製の炉室を持つストーブは、多くの家庭で使われるヒット商品となりました。
その後順調に業績を伸ばし、マーティングループ各社はそれぞれが著しく成長し、数年のうちにフランス、アルゼンチン、ドイツに新しい工場が設立されました。
そして創立150年を経過した今、マーティングループはフランスやベルギーそして世界各国に販売拠点をおき、世界の暖炉、薪ストーブのトップリーダーカンパニーとして優れた製品を世界中へ供給しているのです。
創立者ネスターマーティンは、現在でもベルギー産業革命の担い手として、ベルギー工業界の父として、広く人々の心に残っています。彼の類まれなる粘り強さと技術的見識にどれほど多くの人が励まされたことでしょうか。たった数年で小さな工場の職人から、世界へ飛躍する大きなスケールの工場主へとステップアップした姿に、夢を重ねることができたからです。
また生涯、職人たちに混ざって工具を手に持ち、技術を指導し続けた彼の姿は、そこで働く職人やスタッフに深い感銘を与え、尊敬の念と誇りを植えつけました。彼の残した功績は今も、ネスターマーティンの全製品への誇り高き愛着心という形ですべての社員に受け継がれ、生き続けているのです。